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沖縄ビジネスネットワークに掲載された内容です。
OMJP株式会社
代表取締役 矢野 定雄
「リゾート地で製造業を営むというのは、ある種絵空事みたいな話ですが、沖縄ののんびりした風土の中で手足を伸ばして会社を運営できるのなら、本当に素晴らしいことですよね」
-----“世の中にない機械を作る”を信条に、国内外問わずニーズの高い液晶テレビ関連製造ライン等の生産に取り組むべく、昨年4月、中城湾・特別自由貿易地域に設立されたOMJP株式会社。現在の所感を同社の代表取締役・矢野
定雄さんにお聞きした。
-----矢野さんがOMJP(株)の親会社に当たる(株)メカトロジャパンを創業したのは、今から20年以上前の1984年9月。以来、同社では自動機、産業用生産設備、省力化産業用ロボットといった500種類以上に上る産業用自動機器の開発・製造に肝胆を砕いてきた。メカトロジャパンからOMJPに至るまでを貫く信条は、“世の中にない機械を作る”。とはいえ、ゼロから1を作り出す仕事は、世の中でも最も大変な部類に入るのでは?
それが、産みの苦労を感じたことはあまりないんですよね。そもそも使い古された既存技術には、あまり興味を惹かれないんです。それに、ゼロから生み出した技術の方が将来的な展望も明るいでしょう。省力化機械を手掛けようと考えたのは、元々手作業がイヤで、自分の仕事を何とか省力化したかったのが一番の理由ですが、既存技術に対する挑戦心も原動力になっていたと思います。
-----これまでメカトロジャパンで培われてきた製品開発力や技術力を集約し、国内外からニーズの高い液晶テレビ用バックライト電極製造装置の生産を主軸に据えるべく、2004年5月、中城湾・特別自由貿易地域に設立されたのがOMJPである。しかし実のところ、このOMJPと親会社であるメカトロジャパンの間には、目立った業務区分は設けられていない。「それならわざわざ新会社を設立せずとも、“メカトロジャパン
沖縄支社”でよかったのでは
・ ・ ・」と思ってしまうのは素人考えだろうか?
あえて新会社という形で自主性を持たせたことには理由があって、OMJPでは「沖縄県の人材によって、どこまで独自性を打ち出せるのか」という点に主眼を置いているんです。うちは常日頃から、社員各自が自分にテーマを課すことを求めています。ですから、いずれ沖縄の人材が育ったならば、将来的に何をやるのかを自分たちで考えて選び取ってほしいし、最終的には、OMJPを巣立った人材によって沖縄全土に製造業種の土台が形作られる、というのが私の理想像です。言うなれば、OMJPはそうした理想像を描くための礎なんですよ。
-----こうした大局的な見方ができるのも、OMJPの強みなのだろう。さて、先程“液晶バックライト”と目にして、すぐに「ああ、あれか」と思い当たった人はどのくらいいただろうか。皆さんがこの記事をこうして読めるのも、実は液晶バックライト用装置のおかげなのだが
・ ・ ・。
CCFLというのは、液晶テレビやパソコン用モニターに搭載されるバックライト用ランプです。液晶テレビの市場拡大に伴い、液晶関連部材であるバックライトの国内外メーカーから、バックライトの主部品であるCCFLの生産設備のコンサルティング・開発への需要が現在急増しています。こうした流れに乗って、手前味噌ですが、弊社の液晶関連設備は国内外から評価を受け、大きな市場地位を築いているんです。
-----液晶テレビとパソコン用モニターと言えば、言わずと知れたデジタル時代の寵児。そこに関わる製造業となると、やはり昼夜を問わぬ生産体制を構築しておられるのだろうか?
いえいえ、そこはやはり製造機械メーカーですから、半導体や液晶メーカーとは事情が異なります。現在の沖縄における生産量は、せいぜい1か月に1、2台といったところですね。治工具から全自動機まで製品ごとに多様なラインがあるのですが、お客様のニーズに合わせる以上、基本的にはどれもオーダーメイドになってしまいますね。
-----しかし、OMJPの親会社であるメカトロジャパンの時代から、新技術開発に携わる以上は業界動向に敏感でいなければならないとの理由から、地方進出は念頭になかったと話す矢野さん。それどころか、メカトロジャパンのある神奈川県川崎市から東京都内への移転すら考えていたとのことだが、なぜ急に地方進出、それも遠く離れた沖縄の地を選んだのだろう?
OMJP設立以前は、メカトロジャパンで製品を開発・設計し、製造は別会社の(株)ヤノ技研(神奈川県川崎市)が担うという生産体制を組んでいました。このヤノ技研の工場が手狭になったのが、ことの起こりですね。工場周辺は住宅地で拡張が難しく、新工場を建設するにも初期投資に多額の費用を要しますし、かといって早期に操業しなければ液晶テレビの急激な市場拡大に追従できない、といった理由もあって、賃貸工場もしくはインキュベーション施設への入居が1つの条件になりました。同時に、我々の仕事はあくまで開発メインなので、社員がリラックスして思索にふけられる環境作りも欠かせません。なおかつ、我々の機械には国内外を問わず需要があるため、国際的なアクセスの簡便さも求められました。そんな折に、2年前くらいに小耳に挟んだ、沖縄の特別自由貿易地域の存在を思い出したんです。
-----2004年2月には特自貿を視察に訪れ、賃貸工場にはすぐに入居できることを知らされた矢野さんだが、「果たしてこの南国の地に製造業が根を張っていけるのだろうか
・ ・ ・」と随分と逡巡したそうだ。しかし、悩みに悩み抜いた末、ついに沖縄への進出を決断する。正式稼動は4月、始まりの春である。
私が沖縄に来て初めて知った言葉が「いちゃりばちょーでー」(=一度出会えばみな兄弟)で、その次が「ゆいまーる」(=助け合い)、そして、進出するべきか踏ん切りが付かなかった頃、現地の方に言われたのが「なんくるないさ」(=何とかなるさ)だったんです。こうした楽天的な人たちに囲まれて、OMJPという会社が形作られていくのを想像してみたら、自然と道が拓けていくような気持ちになったんですよ。それに、沖縄に同業種の企業がいないことも、逆に進出の士気へと繋がりましたね。ゼロから作り上げる喜びこそが、わが社の原動力ですから。
-----こうして2004年4月、沖縄の特別自由貿易地域にてOMJPが始動した。稼動後2か月間は、賃貸工場に特段整備を施さず、そのままの状態で使っていた矢野さんだが、ある考えから急遽設備投資を行うことを決めた。
沖縄県内の産業育成に対する責任感を感じたんです。せっかく本土から進出したのだから、地元の人材を積極的に雇用していこう、と。資金は1億5,000万円くらい掛かりましたが、沖縄開発公庫や国にバックアップしていただけましたし、融資条件も整っていたのでスムーズに運びました。製造ラインは全て新規に本土から持っていきまして、先日ようやく内部設営が整ったところです。
-----OMJPの現地スタッフ募集では、事務職1名の求人に対し約50名もの応募が殺到した。その一方で、主力である開発スタッフの採用にはやや難渋したそうだ。
当初は11名程度の雇用を予定していたのですが、現地に製造業が根付いていないことと、工学部のある琉球大学の卒業時期を外れていたこともあって、こちらの希望に見合った人材になかなか出会えませんでした。現時点では、開発スタッフが5名、現地で雇った事務職が1名、工場責任者としてメカトロジャパンから派遣した役員1名の全7名によって運営されています。開発スタッフの5名はポリテクカレッジ(沖縄職業能力開発大学校)の卒業生で、平均年齢は24、5歳といった辺りでしょうか。全員に沖縄若年者雇用開発助成金制度が適用されています。また、今年4月に新卒者6名を採用しましたので、ようやく当初描いていた陣容が整っています。
-----雇用に関しては、矢野さんと沖縄県との間に認識の隔たりもあったようだ。果たしてこれを埋められるのか、今後の課題と言えるだろう。
雇われる当人に自らの適性をしっかりと判断してもらえるように、私としてはトライアル雇用を行いたかったんです。うちのようなニッチな業種ですと、仕事との相性を見誤ってしまい、長期間の研修を行っても付いていけずに、結局辞めてしまう人も多いんです。それに我々は、一般的な組立工場のように、人海戦術でどうにかやっていける類の業種でもありませんからね。ところが、ハローワークにトライアル雇用について問い合わせると、「沖縄にはトライアル雇用を行える環境は整っていないし、定着率の悪い会社と見なされてしまうから、採用したらとにかく辞めさせないでほしい」と釘を刺されてしまったんです。我々OMJPの方針としては、雇用促進よりも人材育成にウエイトを置いています。たとえ、定着率うんぬんのイメージが付いたとしても、だれかれ問わず雇うのではなく、たとえ1人でも良いから優れた人材をこつこつと育て上げていくことこそが我々の使命だと考えています。
-----矢野さんの人材育成に賭ける思いは、OMJP内部のみに向けられたものではない。OMJPに整えた設備をベースに、沖縄県内の外注先を育てていくテストケースとしたい、という意向もあるそうだ。
県内製造業には、例えば、板金加工はできても製造機械を作ったことはない、といった具合に、あらゆる意味で経験が不足しています。ですから、板金加工業者に我々のノウハウを提供したりと、徐々に方向転換を図っていけるよう指導しています。こうした努力が実を結べば、我々に限らず県全体へのメリットにも結びつきますから、もっと積極的にやっていきたいですね。というよりは、積極的にやっていかない限り、沖縄県の製造業が本土から独立独歩でやっていける日は遠いと思うんです。
-----さて、他の経営者からも指摘があったが、沖縄県民の穏和な性格は、雇用する側にすれば諸刃の剣でもあった。本土からの進出企業にとって、“穏和”を“弛緩”の域まで至らせないような社員教育は、やはり必須要件なのだろうか。OMJPスタッフの現在の働きぶりについても伺ってみよう。
俗に言われる“沖縄時間”による生産性の低さは、私もある程度感じています。例えば、その日の作業で目標に満たなかった分を残業で補う、といったような生産性を上げようとする気構えに欠けている印象がありますね。ですから1つの処方箋として、昨年12月に工場設備を全てセパレートしてみました。特自貿に入居された他の企業を見ますと、広い空間をそのまま使っているところが多いのですが、環境を変えない限り人間だって変わっていかないと思うんです。来年度はもっと計画立てて、生産性を上げていこうと考えています。
ただ、亜熱帯の気候が長年掛けて作り上げた風土や文化を、私のような京浜工業地帯で育った者の感覚と比べるのは酷ですし、“企業”という枠組みを取っ払って“人間”の生活リズムとして考えるなら、沖縄の方が遥かに真っ当なことは確かですからね。土着の文化が育んだ生活姿勢と、生産性向上という企業の常道、この狭間のどこでバランスを取るべきか、今なお思いを巡らせているところです。
-----こうした生産性の点に加え、実はもう1つ、OMJPは沖縄特有の悩みの種を抱えていた。
製造業のインフラも県内にはまだ整っていません。そのため、材料部品はメカトロジャパンのある川崎市から送っているのですが、ここで物流コストが掛かってしまいます。また、我々の納入先はほとんどが本土の企業なので、完成品を送り出す際のコストも掛かります。現在、輸送については、小さいものだと宅急便、大量になると船便を利用しています。海外からの材料部品取り寄せにはまだ行っていませんが、沖縄の地理的優位性を考慮すると、いずれは視野に入れなければならないでしょうね。
-----しかし、こうした問題点を挙げつつも、矢野さんの話しぶりからは終始飄々とした明るさが失われない。それもそのはず、会社としてまだ若いOMJPにとって、新天地で起こることは全て未知数であり、いちいち動じてもいられないのだ。
なんだかんだ言っても、まだ進出してわずか1年ちょっとですよ。出荷も月に一度といった具合ですし、本格的な操業に入ったわけではありませんから、デメリットと言っても深刻なものはありません。ただ、享受しているメリットも明確にはなっていませんけどね。あえて言えば、目標通り早期に操業できたことと、沖縄開発公庫の融資をスムーズに得られた点でしょうか。県の企業立地推進課のスピードも迅速でしたし、県知事以下の皆さんにも大変良くしていただけました。
-----さすがに自治体まで沖縄時間ということはないようで一安心だ。さて、現在わが国では、長引く経済低迷を脱する産業競争力を付けるべく、さらなる産学連携を推し進めることで大学の“知”を活用しようとする、「知財立国」が叫ばれている。広域連携よりも、むしろ互いの顔が見える近い距離での連携こそが効果的との説もあり、ここ沖縄県でも産学連携に掛ける期待は大きい。さて、主として開発を手掛けるOMJPでは、産学連携に対してどのような姿勢で臨もうとしているのだろう。
我々のようにニッチな分野を狙っている企業から見ると、首都圏の大学よりも琉球大学や沖縄高専の方が連携しやすい印象がありますね。親会社のメカトロジャパンでも、大学や国の研究所、外部の研究機関との共同開発を手掛けていますが、我々のような小さな会社がどの程度首都圏の大学の研究に資することができるのか、戸惑いを感じることもあります。反対に、こちらから提案した案件に技術的に対応できる大学もなかなか見つからないのも現状です。
-----沖縄県内では昨年4月、沖縄工業高等専門学校(名護市)が開校している。機械システム工学、情報通信システム工学、メディア情報工学、生物資源工学の4学科で、5年一貫教育による実践的な技術教育が行われ、高い専門性を持つ技術者育成が沖縄振興に寄与するとの期待も大きい。恩納村への設置が計画されている沖縄科学技術大学院大学や、既存の琉球大学地域共同研究センター、名桜大学等とも合わせて、沖縄は今まさにIT等情報技術、バイオ・生物工学などの研究先進地へと生まれ変わらんとする最中なのだ。
将来、沖縄にグローバルで多岐に渡る産業が生まれたとして、次代を担う世代を育てておかなければ、そこで潰えてしまいます。ですから、大学院大学や琉球大学には非常に期待していますし、教育方針についても興味を持って注視しています。最近は、沖縄ポリテクカレッジ(沖縄職業能力開発大学校)の先生が実務レベルの勉強をしようと、連日OMJPをインターンシップで訪れていますし、今年度からは琉球大学や沖縄高専の先生方との交流も始まります。先生たちの開発を我々がバックアップするような局面も出てくると思いますよ。
弊社のような産業は元々沖縄にはありませんから、学校と互いに手を取ってスタートラインを踏み出せますし、一緒にやれること、やりたいことがたくさん生まれてくるはずです。高専に入学された方が卒業するのが5年後ですから、その辺りにターゲットを絞って、本当の意味での産学交流を形にしたいですね。
-----ところで、矢野さん。沖縄へは随分頻繁に通われているのでしょうね。
せいぜい月に1、2度ですよ。と言っても、通常の業務ではなくて、お客さんと一緒に沖縄でのんびりしてくるんです。まずは、お客さんに那覇に泊まってもらいます。沖縄文化に慣れ親しんでもらうには、那覇を入り口にすると按配が良いんです。その夜は一緒に料亭を訪れて、郷土料理に舌鼓を打ちつつ、沖縄の踊りとかを楽しんでもらうわけです。
-----ここで沖縄進出の隠れた理由が、矢野さんの口から語られた。
ご存知のように、近年、製造業の方々は大変な思いをして、日本の「モノづくり」の再生に身を投じておられます。私たちの製造する機械は、こうしたモノづくりの最前線に尖兵として送り込まれるものですが、受け渡しの際にはお客さん自らが立ち会いに訪れるんです。日々激務に追われている方々にも、その時くらいはゆっくりしてほしいということで、「いっそ沖縄に工場を置いてしまえば、嫌でもリゾート気分で来てもらえるだろう」と思いついたんですよ。例えば、金曜日に立ち会い作業を済ませて、残りの週末はリゾートを満喫し、リフレッシュした気分で本土に戻ってもらえる、というわけです。
今は何をするにもスピードが要求される時代ですし、なかなか難しいとは思いますけれど、こうしたゆったりとした考え方が大企業の方々にも少しずつ浸透するといいですよね。
-----沖縄のリゾート性も、立派な進出理由の1つになっていたというわけだ。時間に追われる現代人には耳の痛い話だが、仕事を済ませてから遊ぶのであれば誰にも文句は言われないし、むしろ歓迎すべき提言ではないだろうか。それでは最後に、矢野さんの力強い誓いをインタビューの締めの言葉とさせていただこう。
今はとにかく沖縄の風土を本土の人に理解してもらって、沖縄を訪れるのが楽しみだと感じてもらうことから始めたいんです。沖縄県の製造品出荷額に寄与するとか、そういう細かいところまでは正直考えが及んでいません。生産性などを考えると、OMJPが軌道に乗るまでにはあと5、6年は掛かるでしょうが、あくまで沖縄に新たな産業を生み出すことが我々の主眼であり、そのことがOMJPの将来性に繋がってくるものと考えています。単に沖縄に染まりきるのではなくて、沖縄文化の良い面を活かして、この島に製造業が成立する素地を整えたいですね。

液晶テレビバックライト用検査装置の組立風景

研修中の4月入社スタッフたち

[2004/4/16]
弊社子会社のOMJPが沖縄特別自由貿易地域(具志川市州崎)に入居が決定し、稲嶺恵一知事と面談した記事が琉球新報社に取り上げられました。
Web版琉球新報社該当記事
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